桜東錦で石崎

気持ちの余りおんなじ事案が起きても、その日その時その配置そうして心境でもらいほうが違うものですなぁと感じた最近の報告。
大好きなヨガの稽古内側、素晴らしくブレスの荒い先祖が私の目の前で硬い人体を震わせながら、頑張ってポーズを取っていたんだけど。
最適頻度で、おんなじ歳月を共有することになる、こういう先祖。
自分のブレスよりも、先祖のブレスを見紛うんじゃないかとおもうくらい強烈で汗もダラダラ。傍もちょっと面白ノリに包まれちゃう。
最初はできるだけ道程をとってたんだけど、その時は序盤歳月瀬戸際に入ったから、微妙に空いてしまっておるその先祖の隣席に。
そうしていつもの稽古内側・・・明らかに例の音質が2回ほど響き、ライフ人懐っこい匂いが。先祖 やっちゃったか。
前の俺だったら、どうにも気持ちのやりように困って、レクチャーを飛び出していたかもしれない。
けれどもこの日は異なる。あんなに頑張ってるだし、出ちゃうよね。オナラ。微笑ましいとまで思ってしまった自分に拍手!
自分自身が人体も心も充実していると、そんな負のオーラすら吹き飛ばして仕舞うんだなぁと。気持ちの余りって必須だよね。